こんにちは。
無理なくクセを変えて 自己肯定
ステキな自分にワクワクできる 幸せナチュラルチャレンジレッスン
心の不自由からの開放カウンセラー
安西麻乃(あんざいまの) です。
現在は、子育てをしながら、自身の経験と知識を生かし、
”誰にも相談できずに1人で悩み、周囲の人には言えない心のモヤモヤを
気軽に話せる窓口となって、スッキリと心を整えられる”
そんな相談所を目指して、カウンセラーとして活動させていただいてます。
アダルトチルドレン、愛着障害、共依存、対人恐怖
自己肯定感の回復、自信の復活
気をつかい過ぎて疲れてしまう、社会の中で居場所がみつからない…
そんな心の不安定な状態が続いている方に向けてカウンセリングをしています。
特に、私自身もそうであった”ひきこもり”がちな主婦とママたちの心のケアを専門としています。
「自分のこんな悩みでもいいのだろうか?」と思ったら、まずはお問い合せください。
『心の不自由さを取り除いて、自由でニュートラルな心へと生まれ変わるお手伝い』
なんだか気持ちがザワザワする、イライラしてしまう、悲しくて涙が止まらない
でも…
原因は何?どうしたら抜け出せるの?
そんな心のモヤモヤを、さまざまなワークと具体的な解説で、
変化を楽しみながら、
ありのままの自分を開放して、自由でニュートラルな心へと導きます。
あなたは、いつの間にか本当の人生を生きられるようになっています。
≪プロフィール≫
『子供時代』
◇おとなしくて聞き分けのよい子
人と比べては「あの人すごいなぁ、私なんて…」と比較してしまい、
自分を低くみがちな子供だった。
いつもニコニコしているだけで、人あたりは良すぎるほど。
もの静かで、自分の言葉で自分の気持ちを表現できなかった。
親からしたら育てやすい子だったと思う。
おとなしくて言うことをちゃんと聞いていることが正しくて、
そうしていれば人生大丈夫だと思っていた。
◇幼稚園でのある出来事を境に、存在を消したくなる
幼稚園に入園して間もなく、男児に「デブ」「ブス」「アンパンマン」など、自分の容姿についての悪口を、生まれて初めて聞いた。
子供なら普通に言う言葉だと思われるが「私は太っているんだ」と認識したことで、
年少だった私に「私は人前に出てはいけないんだ」という意識が生まれた。
「人が傷つくような言葉を言っても平気な人間が、この世の中にはいるんだ…」
信じられず、ショックを受け「恐ろしい」という気持ちと同時に、
社会に対する疑問と不信感が生まれた。
もともと繊細で感受性の強い子供だったのだと思う。
そして、少しだけ大人びていた。
◇毎日がつまらなく全てがイヤだと思う生活
もともと恥ずかしがりやで引っ込み思案な性格だったが、その幼稚園での出来事以降、誰かに話しかけることも、姿をみせることも、幼稚園に行くことも、すべてがイヤ。
家に帰って家族と過ごす時間と、食べることだけが楽しみ…という日々が、それ以降20歳頃まで続いた。
自分が美しくない、という劣等感と悲しみは、いつも心の底にあり、できるだけ目立たずに、気配を消して生きたいと思っていた。
母の料理好きと、また仕事からの帰宅が20時と遅いこともあり、おやつをたっぷり食べ、とにかく食べることが好きで一番の楽しみ、そしてリラックスできる時間だった。
体重は増える一方で、高校時代には70㎏まで…
◇いつしか、喜びも、悲しみも、苦しみも感じなくなっていた
最近のことだが「心の診療、改善」をする仕事をしている方に
「その頃、あなたはゾンビだったのね」と言われた。
そのとおりだと思った。
子供時代の私は、すべての心の動きを止めて、人間らしい感動、喜び、悲しみの感情がとても薄く、今思えば逆に冷淡で自己中心的な性格だったのかもしれない。
◇気をつかいすぎて疲れていた
内心は、全ての人たちに気をつかっていて、自分がどうふるまえばいいのかを考えては行動する毎日の繰り返しで、とても疲れていた。
とにかく存在を消したいがために、人からどうみられているかをいつも気にして、親にも先生にも叱られることなく、友達とケンカすることもなく、ルールも守る、大人からみれば、とても『ちゃんとした良い子』だった。
とにかく目立ちたくないので、毎日1人になる時間を楽しみに過ごしていたが、
人一倍さみしがり屋で、心の中では「私のことを認めて欲しい」といつも叫んでいた。
◇他人に迷惑をかけたくない、喜んでいてほしい
「皆に喜んでほしい、満足してほしい」という気持ちが常にあり、私のせいで、人が悲しんだり、怒ったり、イライラしたりしてほしくなかった。
私が傷ついてしまったように、誰かが傷ついてほしくなかった。
誰に対しても笑顔で愛想よく、家族からも友達からも「~して欲しい」と頼まれれば、イヤとは言えずに引き受けてしまっていた。
友人の1人は「ケンカしたいのにできないじゃん!」と言われたのを今でも覚えている。
「怒り」って何?まったくわからなかった。
◇誰にも言えない心細さ、助けを求めていた
そんな「人に迷惑をかけたくない」という気持ちと恥ずかしさから、
”「デブ」と言われて、社会に対する不信感をいだいている”
”ショックのあまり姿を消したいと思っている”
気持ちは、親にも誰にも言えず、恥ずかしい出来事としてずっと心の奥底にしまい込んでいた。
でも一度も記憶から消えることはなかった。
そしてコンプレックスと不信感から、どんどんと内向的な性格となり、
上手く人と関わることのできない自分に対してにも嫌気がさし、悩みは消えることなく、増すばかりだった。
子供心に、この気持ちをかかえたままずっと1人悩んでいた。
『両親とのかかわり』
◇カミングアウトする決意
20代になり標準体型となって、ある程度容姿に自信が持てるようになってからも、この思いは誰にも言えず、自分をごまかして生きていた。
37歳くらいのある時に、親戚の集まる食事の場で私の幼少期について話題になり、人生で初めて
「今言うべき、今なら言える」と思えたので、皆の前で口に出してみた。
自分では大丈夫だと思っていたのに、涙をこらえるのに必死で、まだまだ心の奥底に残ったまま癒えてないことを、再認識した。
そして、その時の母の反応にがっかりした。
「小さい頃、何となく何かあるとは思ってたよ。でもこういう事ってそっとしておいた方がいいし、話さない方がいいもんね。」
◇大きすぎる母の存在
母は、ちゃんとした仕事を持って自立しており、母性は強く、私の子供時代、私は本当に信頼し尊敬もしていた。安心していられる存在だった。
ほとんど怒ることがないほど、子供に対して穏やかで、可愛いがってくれた。
でもよその子や、仕事関係の大人について、とても厳しく人を判断したり批判するタイプで、それを聞いてはいつも、
「社会とはこんなに批判をされるものなんだ、気を付けよう」
「なぜ子供の私たちはいつも特別扱いで叱られないのだろう?」と疑問だった。
そして、常に無言の圧力を感じていた。。
「いい子でちゃんとしてる子が好き」
というメッセージを、私は子供ながらに受け取っていた。
今思えば、人間には裏表があるということを学んでいたのかもしれない。
◇子供の生活に無関心な父母
子供の頃、父母から学校生活についてなど、質問されたり興味を持って話しをされたことはほとんどない。
自分が子供を持って気づいたが、私の父母はいつも大人の世界や、社会についての会話をし、私たち子供はそれを聞いているという家庭状況だった。
そのおかげで、私は大人びた考えをもっていた部分もあり、今となっては良かったと思える部分もあるが、
当時はクラスメイトとうまく話しができず、幼稚園のあの出来事以来の、ますますの引っ込み思案もあり、同年代かそれ以上の人との会話の仕方にはいつも悩んでいた。
『大人になって』
◇結婚、そして夫の精神病
結婚し、35歳の時に娘をさずかったが、それと同時に夫の精神不安による体の不調がおこりはじめた。
その後6年間、夫の体の痛みやイライラ、ひどい不安症状は続き、育児もそこそこに夫の気持ちと体調のフォローが続く日々。
夫を支えながらの子育てとなった。娘にもっと手をかけてやりたかった。
幼少期からのがまん強さ、人に迷惑をかけたくない、喜んでほしいという性格からか、当時はそれほど辛い、不幸せだとは感じなかった。
◇快復に向かっていたはずが…精神不安に逆戻り
娘が1年生の時、夫の症状がだいぶ治まってきて、本人も本来の自分を取り戻しはじめたさあこれからという時に、家の近所で新たな大きなストレスとなる問題が生まれた。
そしてそれを機に、また元の精神不安状態に陥っていく夫を目の当たりにした。
「また逆戻り。一からやり直し!?」
ショックだった私は事実を受け止められず、
これまで6年間、子育てもそこそこに、自分のこともおいて夫をサポートし、次の明るい未来をすでに見定め始めていた私は、
「また前と同じ生活に戻る…」という恐怖から、現実を見ることができなくなりっていた。
心の中で何かがプツっと切れるように、これからは自分の人生も大切にしたい、自分のために生きてみたい、という
今まで持ったことのなかった、生まれて初めての欲求が生まれた。
◇夫婦ゲンカの絶えない日々
その欲求は、自分でも驚くほど強く、子供の頃から我慢していたものが噴き出るように、夫の意見や感情を意識的に無視するようになっていった。
それ以降は、反発する私に対して、今までのようにフォローしてほしいと考える夫との間には確執が生まれ、前回の精神不安の時よりもさらにエスカレートした夫の不機嫌とイライラ、
それに対する私の自分を守る意識がぶつかり、
必然的にケンカが増え、家庭内が落ち着かない場所となった。
娘への影響が、前にも増して心配になっていった。
◇社会復帰による心の変化
44歳 9年ぶりの仕事復帰 紹介で帰国子女の小学校での支援員になり、社会人としての役割や貢献、責任を感じることができ、自分の中で初めて意義のある仕事をしていると実感し、人を支える仕事にやりがいを感じはじめた。
辛い日々を忘れさせてくれるかのような、人を助ける仕事は、心が満たされ自分という人間が社会に貢献できている、そして
「私は、人を支援したり、助けることで喜んでもらうことが好きなんだ」
と、初めて自分から「好き」というものを引き出すことができた。
◇夫を支えては衝突の日々と、自分という存在確認
帰国子女の女の子の卒業と同時に私の仕事も終了し、
その後すぐ、コロナに突入し、家にこもりきりの社会から切り離されたような生活が約2年間続いた。
相変わらずの夫の症状と戦いながらも、時間があれば自分自身の人生をみつめるようになっていった。
◇「存在してはいけない」という気持ちの再発
大人になり、就職し、結婚し、子供が生まれ…
誰しもが通る子供時代特有の狭い世界から抜け出て、日々の忙しさ、結婚による心の安定などから、気づけば「存在してはいけない」という気持ちは、相変わらずの自己肯定感の低さを除けば、だいぶ薄れていた。
でも40代半ば…夫の精神問題、仕事をせず家にひきこもる生活、その他さまざまな出来事が重なり、今後の事を考えると、だんだんと自分に自信が持てなくなってきてしまった。
すべてに行き詰まりを感じていた。
そうなったとき「存在してはいけない」という子供の頃の気持ちが、なぜか急に再発し、
あの時と同じ気持ちだ…と、すぐに気づいた。
もう克服したと思っていたのに、、、
◇悩み続ける日々
夫の精神フォローをすることは、以前と何ら変わらない生活のはずだった。
なのに、
じわじわと、幼少期と同じ自信のない自分が起き上がり、虚無感、何もできない自分への劣等感を感じ、
今度は私が、原因不明の精神不安に陥り、涙が止まらず、自分の無力感、社会での孤立感、
幼少期に感じていた自分の存在意義の意識と、自信のなさが首をもたげてくる。
「あの子供の頃の私と今の私はまだ繋がってるんだ、あの気持ちはまだ、ぬぐい去れてなかったんだ」
と気づいた瞬間だった。
◇悲しくて 空しくて
それに加えて、大人として社会に何も貢献できていないという、人としての責任、生きがいについての問題意識が追い打ちをかけてくる。
ワケもなく涙が出て、悲しみが止まらなくなった。
そして子供の頃の苦しかった記憶がどんどん蘇ってきた。なぜ?
そんな中、生まれて初めて人生の目標や生きる意味についても深く考えるようになり、自分の無力感にさいなまれる日々が2年以上続いた。
◇占いに頼り没頭する日々
2年の間、もがき続けた。
ネットで検索し続けること2年、心を休めるためにネット占いに頼る日々…
仕事もなく、来る日も来る日もスマホと向き合って過ごしていた。
小学生だった娘の世話にも身が入らず、夫にも呆れられ、夫婦げんかも絶えなくなり、
もがけばもがくほど、自分を楽にしようとすればするほど、日常生活はすさんでしまった。
自分探しに明け暮れる、いわば “わがまま”で自分のことにしか興味のない状態の私。
自分の心の自由を求めるために、いつしか日々の生活時間の自由までも、家族に求めるようになっていた。
◇苦しみからの解放を求めて
「何とかここから抜け出したい!」
「私のこの心のモヤモヤの正体は何なんだろうか」
「どうしたら、以前のように日常を楽しめる私に戻れるんだろうか?」
「『存在してはいけない』の気持ちを拭い去るにはどうしたらいいんだろう?」
相変わらずの夫の症状と戦いながらも、時間さえあれば自分自身の人生をみつめていた。
夫との関係もあまり良くないと感じていたこともあり、これからもこの状態が続くことに耐えられない気持ちと同時に、自分の人生を自分らしく歩みたいという気持ちがますます強くなっていった。
◇悪循環にもがく日々
当時、
もう自分の“生きている意味“が見いだせなかった。
社会の中での取り残され感、居場所のなさ、自分の不甲斐なさ、無力感、
そのせいで家族にも迷惑をかけて母として妻として失格な自分、
社会に貢献できていない自分…
それらに加えて、幼少期からの性質である“自信のなさ”がムクムクと蘇り、過去の自分が追い打ちをかけてくる。
もう出口の見えない悪循環の中でグルグルと回り続けるしかなかった。
社会の中で“自分の存在価値”がみえないことほど、人間として辛いことはないのではないだろうか?
◇夫にうちあけてみた
夫には一度だけ、自分の気持ちを全て吐き出したことがある。
話している間、涙があふれて止まらなかった。
おそらく3時間は自分の気持ちを吐き出すように話し続けたと思う。
夫は、聞いてくれてはいたものの、
数日後に「そんな小さな問題で悩まなくてもいい。世の中にはもっと大きな問題があるだろう。」と一言。
これが、私にとっては大きな衝撃となった。
「私に甘えがあるんじゃないか…と、自分でもわかってる部分がある。それを承知で信頼して話したのに。」
◇ますます殻に閉じこもる生活
事実…
・意味もなく流れ出てこようとする涙を毎日こらえている。
・何に対しても頭がまわらないほど2年もの長い間悩み続けてる。
・私だってこんなの忘れて平穏な気持ちに戻りたい。
「なのにそんな一言で片づけるの?」
その時から、ますます殻に閉じこもり、友達にも相談できず、1人ネット検索で占い、そして心理学のネットサーフィンを繰り返す日々。
そしてついに
悲しくて 空しくて 思考停止した…
◇誰かに相談したい、助けてほしい
本当は心からヘルプを求めていた、相談したかった!
この気持ちを理解して解決に導いてくれる誰かに話したかった!
でも、そんな人をどうやってみつけたら良いのか全くわからない!
誰に何を話したらいいのかわからない!
誰か助けてほしい!
そんな気持ちをかかえて、頼れない苦しさから逃れるように、ますますネット情報に頼るしかなくなり、
何度も頼り先を失敗し、その度に自己嫌悪に陥りながらも、止められずに考え探し続けた。
◇長い道のりの末、ある日突然みえた道筋
長い間、紆余曲折しながら…
星読み、タロットを学んでみたり、心理学講座に申し込んでみたり、
さまざまなものにヒントを得ようと、今思えば“自分の存在”探しに明け暮れていた。
でも自分が求める解決法をみつけることは、星の数あるほどもある情報の中から、かいつまんでは自分に当てはめの繰り返しで、気が遠くなるほどの時間と労力だった。
そして、ある時ふと気づく瞬間がやってきた。
「私にも存在する価値があるんだ」と思えるようになれたある気づきがあった。
◇やっとみつけた心の平穏
その「存在してもいい」と気づくことができるようになった、私が調べて探し出し、最後にやっとたどりついて手にした心理学的考え方。
かなり周り道をして来たが、自分なりに学んできたことを総合的につなぎ合わせても、腑に落とすことができた。
この核となる部分を最初から知っていれば、こんなにまわり道をしなくて済んだのに、という後悔と共に。
そのとたん、不思議と立て続けに2つも仕事の紹介が入ってきた。
◇悩みの原因とからくりを知るだけでは足りない…
心理学を学び始めた当初は、アダルトチルドレン、共依存、愛着障害など、私と同じように悩んでいる人がいることがわかっただけでも励みになった。
でも、わかっただけでは私の心の痛みを治すことはできないことも目の当たりにした。
・子供時代にさかのぼり、自分の気質を発見したり、
・どのように今の私が作られてきたのかを確認したり、
・何がひっかかって自分に自信がなかったり、存在意義を疑っているのか?
・なぜ社会で生きる意味を見いだせないのか?
・生活上、すごく大きな問題はないはずなのに、なぜこんなに涙が出るほど心が苦しいのか?
これら全てを発見し理解できたとしても、何も変化はない。
具体的なはたらきかけをして、実践をするからこそ変化がおこるんだ、ということを知ることになった。
◇心の苦しみを取り除く方法を獲得
その後も学び続け、
日々の生活で自信を失ったり、落ち込むことなく、
存在意義を疑うこともなく、
「平穏でニュートラルな心を保つにはどうしたらよいか」
私が知りたかったのはここだった。
そしてついに、その方法を身に着けることができた。
その時から「私は存在しても良い」と思うことができるようになり、
これまで悩んでいたのがウソのように心が晴れ、
平常心「ニュートラルマインド」を自分自身でつくることができるようになった。
日々の生活の中で、自分1人で再現可能な”心のトリセツ”をみつけることができたのだ。
◇悩みの原因も症状もさまざま、人それぞれ
・本来自分だけが持っているオリジナル気質
・成長していく中で身に着けた子供の頃からの考えグセ
・原因不明、もしくは原因が明らかな心の落ち込み
全ては繋がっている。
人それぞれ違っている。
複雑にからみあっている。
だから辛くなってしまう。。
でも実は心の根っこは一緒。
シンプルに絡まりをほどくことできる。
それに気づき自分でケアする方法をみつけることができた。
◇日常が戻ってきた!
今では仕事も楽しく、人間関係も良好で、家族にもママが戻ってきた!と言われるようにまでなった。
数年前には考えられなかったこと。。
悩んで探して、
心の苦しさからの解放への道筋のすべてがそこにはあった。
パズルのピースがはまるようにあらゆる悩みの根源がわかり、
ピースがピッタリとはまったとき、
「自分に自信を持つ、自己肯定するとは、こういうことなんだ!」
「平常心、バランスのとれたニュートラルな心とはこういうことなんだ!」
「私の求めていた心の平穏とはこれだったんだ!」
と、頭でも理解し、感覚的にも納得がいった。腑に落ちた。
◇根幹となる考え方
いくつもある心理学的アプローチの根幹として、一つだけ確実にどんな悩みにも影響するものがある。
それは「潜在意識」。ほとんどの人が知っているこの言葉、知れば知るほど奥が深い。
自分自身で自らの潜在意識(心)をケアすることができれば…
何度も元に戻ろうとする潜在意識を、日常生活の中で整えてニュートラルに戻してあげることができれば、悩み、苦しみから抜け出すことが可能だということ。
◇あらゆる感情に影響する潜在意識
潜在意識は、私のような“存在意義”という悩みだけではなく、
心穏やかに過ごすための幅広い悩みを解決する、いわば根っことなる部分と言ってもよいもの。
トラウマ、自信喪失、うつ、不登校…
まだ病気には至らない程度のネガティブ感情…
潜在意識のバランスを整えてニュートラルな気持ちで生きることができれば、人間関係における多くの問題や悩みを解決できる。
「でも、その潜在意識と実生活をどう結び付けるの?」
そこがポイントであり、解決のヒント、糸口となる。
◇潜在意識は、いわば“考えグセ”。
誰しもが、自分だけの、自分にしかない、いわばオリジナルな考えグセを持っている。
その軌道修正をすると、
穏やかな気持ちでいられ、
人目を気にしないありのままの自分で、
自分軸で生きていける。
そして、私の場合のように存在意義を疑うこともなくなる。
それこそが、バランスよくニュートラルに生きていくということ。
こころの悩みを抱えている多くの人は、自身でもそこに問題がある、と気づいているのでは?
◇人生の転機だった…
あの時、この心理学に出会っていなかったら…
心の仕組みを知ろうとしていなかったら…
あきらめずに探求し続けていなかったら…
今の自分はなかった。
そして私みたいに悩んでる人がいるなら、時間と労力をかけずに、少しでも早く心を回復してもらいたい。
周り道をしすぎて、心折れそうになるまでがんばってほしくない。。
そう強く思う。
◇心が苦しかった原因の特定
実は、
「そんな小さな問題で」
と言われる問題ほど、派生する悩みの深さは深いことも多く、
はっきりした原因、問題があるのなら解決策も探しやすいけど
原因がわからない、
自分でも説明ができない、
これくらいはガマンすればいい
と、一見軽く見られがちな日常の悩み、苦しみこそ、大問題に発展する前に、ていねいに取り除く必要があると思っている。
そんな問題こそ、うまく吐き出すのが難しく、自分も他人も理解には時間もかかる。
複雑な心の絡みをほどいて、自分で整理することも難しい。
◇カウンセラーになる決意
あの時の私と同じように相談相手を求めている人がいるのなら、
長い間苦しんで、子供や家族との貴重な時間がいつの間にか過ぎてしまうことのないように。
そして、それを後になって後悔しないように。
「私がSOSを受けとる側にまわりたい」
私自身、夫に相談することでますます悩みが深くなってしまったように、
相談する相手は、誰でもよいわけではない。だからこそ打ち明けられなくなってしまう。
助けてもらう相手選びは、かなり慎重になる。
せっかく築いてきた人間関係を壊してしまっては、
さらに悩みが増してしまうだけではなく、その後のj生活をますます過ごしづらい環境にしてしまう。
◇カウンセラーとしての想い
私の経験と知識で救える苦しみがあるなら、救いたい。
あなたもぜひ、一歩を踏み出して、一生モノの心の平穏を手にいれてほしい。
そんな人の、伴走者として私はお手伝いをしたいと思っている。
◆最後に…
人生に山も谷もありながらも、ニュートラルに乗り越えられるマインドでいられることが幸せだと思うのです!
それには日々の出来事に振り回されないマインドを、日常的に自分自身でコントロールできる方法を身に着けるのが一番だと考えます。
過去の私のように、自分に自信が持てない方が
「ニュートラルに社会と関われて、人生をより楽にリラックスしてワクワクしたものとして捉えられるようになる」
その手助けをして、苦しみを取り除き、生きやすくしてあげたい、というミッションの元、カウンセラー活動をしています。
また、特に主婦の方に多い、人生の目標や生きがいを見つけられなかったり、自分がどんな人間であって、どんな強みを持っているのか、など自己分析できる環境も提供して、自分探しのお手伝いもさせていただきたいと考えています。
一緒に、一生モノのニュートラルマインドを手に入れていきましょう!